寒空の下の餅つき大会
シートも飛ばされるような寒風が吹く豊小学校の校庭で、成年部と子ども会のお母さん方で餅つき大会の会場準備が始まりました。役員の皆さんが、前の日から臼に水をはったり、もち米を2升づつに小分けして仕込んで用意したもち米は60kg。昔で言うなら一俵の餅をつきます。
もち米を蒸すかまどに、火をおこそうとしますが、薪が少し太すぎたせいでなかなか火力が得られません。
一方人気のトン汁も、風対策を施して準備が整いました。
子ども会のお母さんたちは、つきあがったお餅の受け入れ態勢を整えます!
最初の釜が蒸しあがると、早速一番臼で餅をつき始めます。今井町会長のあいさつもどこ吹く風で、ちびっ子たちはつき立てのお持ちに群がってきました。
お母さんたちは息つく暇も無く、つきあがったお餅をきなこや小豆、おろしと絡めて行きます。冷えたカラダに嬉しいトン汁もたくさん仕込んであります。
鳶の梯子乗り
テントに長蛇の列ができ始めた頃、鳶のみなさんが木遣(きやり)にのって、登場します。先頭でかざしているのは纏(まとい)です。恒例の「高橋鳶(とび)」さんによる梯子乗りが始まります。
正式には江戸木遣といって、鳶職人たちが伝承の中心となり、労働歌から次第に鳶の歌として定着し、歌の内容も多岐にわたり、江戸の庶民の文化を反映するように成りました。
建前、祭礼、婚礼、出初式などの儀式の歌として「力の木遣り」から「聞かせるための木遣り」として歌われるように成りました。
木遣が終ると梯子乗りのために梯子をたて、それをとび口と呼ばれる鉤棒で支えます。
梯子乗りは、江戸時代、火災現場で重宝であった梯子を用いて、火の用心の重要性を訴える、消防デモンストレーションのひとつとして行われてもいました。
また、一説には満足な火消し道具が無かった江戸時代、破壊消防のために屋根や梁など高いところに登ることが多く、素早い身のこなしを必要としたことから、訓練のために始められたとも言われています。
梯子の曲乗り技には、それぞれ意味があるそうです。すでに世界的な大都市だった江戸の街は、長屋等が密集して迷路のようになっていて、火消しの人たちが火事現場に急行すると場所がわからなくなることがあったそうです。
どんな強風の中でもすばやく梯子をたてて火元を確認する必要から、生まれた技なのでしょう。晴れ渡った冬空に寒風をものともしない鳶の皆さんの姿は、まさにイナセな江戸っ子を垣間見るようです。
今年も無事終了
梯子乗りが終った後も、列は果てしなく続きます。そろそろお母さんたちもばててきたのでは?
あんなにたくさん用意したトン汁も残りわずか! 皆さんの食欲を満足させるにはたりないかも?
来場者は去年を上回っているようです。
ようやく最後の一臼が着きあがりました。
お母さんたちも、やっと食事にありつけました。ご苦労様でした。
すべてのかたずけが終ったあと、子ども会をはじめ消防団や成年部のみなさんと、まじめな反省会をひらいて今年の餅つき大会は無事、終了しました。