散歩の収穫?
第10次 番外編(土浦周辺)
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初めて雨中の決行!
相変わらず人気のない駅周辺!
それでも来週に迫った「土浦祇園まつり」の準備が始まっていた。
じっくりと土浦を探検するために、まずはまちかど蔵「大徳」で情報収集。
蔵内には観光協会の事務所が設けられ、情報提供サービスを受けることもできる。
見世蔵・袖蔵・元蔵・向蔵の四つの蔵で構成され、現在、土産品の販売・資料の展示などが行われている。
大正時代は呉服屋・大徳として非常に栄え、中城地区でも有数の豪商だった。
まちかど蔵の向かいに、巨大飛行船「ツェッペリン伯号」の記念館がある。
1929年8月19日、初の世界一周にチャレンジしている途中で、霞ケ浦飛行場に着陸。30万もの見物客が押し寄せた。
第一次世界大戦の戦利品として、ドイツから飛行船の格納庫を譲り受けていたので中継地として選ばれたらしい。
飛行船の時代が終わりを告げると、この巨大な格納庫は都電杉並線の車庫となったという。
資料をもらって、いよいよ今回の目的地「亀城公園」にと思ったがそろそろお昼時。
前回は昼時に来れなかった創業150年の老舗天ぷら屋「ほたて」で天丼を食べることに。
押し縁板張り、漆喰の外壁、格子木囲いに明治の町家という風情が漂っている。
腹ごしらえも済んで、土浦城址の亀城公園へ。相変わらず歩行者は少ない。
土浦城は平将門が砦を築いたという説があるが、記録としては室町時代に小田氏に属する若泉三郎が築城したとされる。
水害が多い土地柄、浸水した水面に浮かぶ城の姿が亀に似ていることから「亀城」と呼ばれた。
徳川の時代になると家康が次男の結城秀康に土浦を与え、土浦城を領内の支城とした。
常陸国では水戸藩に次いで大きな領地となり、以後土屋氏が世襲して明治に至った。
公園を奥に進むと、県南地区初の大規模博物館が現れる。2007年に展示が大幅に更新された。
土浦は、霞ヶ浦周辺の水運の中心でもあり、水戸街道の宿場でもあったので文化財的な価値のあるものも多い。
雨に煙る史跡の探索も満更ではではなく、古の人々も同じ雨に濡れただろうと思い当り、にんまりとした。
今回の締めは湯につかって、マッタリとビールでも飲んで帰ろう!